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千屋の歴史をかいま知る

長文ですので、お時間がある時にどうぞご覧下さいね。

 

ここ、一週間の間に、千屋の歴史について改めて勉強する機会が有りました。

本日の題目〜炭焼きDVD鑑賞、千屋牛に付いての座談会、千屋牛のさばき方、そして千屋牛と郷土料理のバイキング☆
本日の題目〜炭焼きDVD鑑賞、千屋牛に付いての座談会、千屋牛のさばき方、そして千屋牛と郷土料理のバイキング☆

千屋公民館にて、この度初めての企画「第1回千屋文化講演会」が開かれ、参加させて頂きました。今回は、炭焼きと千屋牛について。

 

炭焼きは、江戸後期〜戦後の千屋の一番の産業であるたたら製鉄で、沢山の炭を使うため、大切な仕事でした。あちこちにあった炭焼き小屋でしたが、今では、たたら製鉄の減少に伴い、昔ながらの手作りの炭焼き小屋はほぼ残っていません。

そこで、去年、昔ながらの方法を知る匠の指導のもと有志の方たちが炭焼き小屋を造られ、その記録のビデオを見ました。

 

想像以上に、一過程一過程かなり手が込んでいて、重機も無い頃作るのは、さらに手間暇掛かった事だろうな、と驚きました。これからも、自然な形で炭焼きが継承されて行けばいいな、、、と思いました。


8キロの固まりをさばきます
8キロの固まりをさばきます

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そして、千屋牛市(1830年代〜1960年代開催)や、千屋牛にまつわる話しの座談会です。

大正15年には、千屋の人口約5000人に対し、牛2500頭が飼われていたそう!(参考:現在の千屋は人口約1000人、千屋牛飼育農家12軒、約120頭。最近は「千屋牛」という名前で新見の他の地区でも飼育されています。)

 

人と牛は同等扱いで(家畜と言うより『家族』)、道の真ん中は、牛と人が一緒に歩き、この地区では、馬屋(牛小屋)は、人の住む母屋の中に有りました。昼食などは、牛の横で仲良く食べるのがなんの不思議も無かった位でした。今、「千屋豊年踊り」という昔の農家の仕事を再現する演芸がありますが、ばくろうさん(牛の仲 買をする商人)に育て上げた牛を手放す時、飼育農家の子供が泣き出す場面が有ります。ホントにそんな感じだったのでしょうね。

 

あ、千屋アウトドアハウスにも、牛さんこそもう居ませんが、母屋の中に馬屋が残っています。

 

毎年、牛市は春秋各約一週間開かれ、各地から来たばくろうさんで、千屋は大にぎわい。勿論、千屋に住む人達にとっても、丁度農閑期の時でもあり、一番のお祭りでした。昭和40年頃、つまり千屋牛市も末期の小学校の先生のお話しですが、子供達はそわそわ☆授業にならなかったとか。その売買で飼育農家は、半年暮らせたという事です。何故市がそんなに繁栄してたかと言うと、千屋牛は、寒さに強く・力が強く・人に従順で大人しくて人気だったから。この牛市は中四国の中でも有名で、千屋だけでなく周辺からも牛を売りに連れて来て、多いときは、一度に1000頭以上も の牛が取引されたそうです。今も、市の跡地がありますが「そんなに入るかな?!」と思う程の小さな広場です。

 

牛市が開催されていた頃は、製鉄用の木材の運搬と、農業耕作用の役牛として飼育されていましたが、製鉄業と農業の近代化により、今、千屋牛の役目は、食肉牛に変りました。

千屋牛スジの煮込と、呉汁
千屋牛スジの煮込と、呉汁

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更に、その会の後、千屋の歴史をとてもよく知る方のおウチに呼んで頂きました。

 

千屋が牛市に寄って長く繁栄したきっかけを作ってくれた、太田辰五郎(1790?~1854)の話しを聞く事が出来ました。

太田辰五郎は、千屋の住人に取っては、一番の偉人!

元々、製鉄に成功した太田家は豪族と呼ばれる程繁栄していましたが、太田家のみならず、千屋全体に益をもたらしたのが、3代目の辰五郎でした。辰五郎は、斜面のある千屋で炭の原料の木材を運ぶため、足腰が丈夫な牛の改良に成功し、村全体の繁栄を考え、牛市の経営主体を太田家から村へ譲り、また、天保の飢饉の際は自己資産で村民を救済しました。

 

牛の改良の成功で、農業にも鉱業にも酪農にも利益が出た、、、ってホント功労者だなぁと感心です。辰五郎のあれこれを教えて下さった方は、「村全体の事を常に考えてたって事で、山田方谷以上の偉人だ!!」と仰ってましたが?!(山田方谷は、詳しくは省きますが、同じく幕末に生きた、新見一の偉人です)

 

先ほど書いた「牛市が開かれた小さな広場」は、太田家の庭です。いかに地域のためを思って私財をなげうったか伺い知れますね。

 

そんな話を聞くと、太田辰五郎、そして、牛を育てた千屋の農家一軒一軒があって、こうして今の千屋があるのだな〜と感謝の気持ちが湧いてきます。

ステーキ、しゃぶしゃぶと郷土料理
ステーキ、しゃぶしゃぶと郷土料理

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そして更に後日、近くの知り合いと「正月送り会」をしました。

一緒に料理をし、お食事しながら半日程!

まだ千屋が「陸の孤島」で不便だった頃の事、

その昔のお姑さんがとても厳しかった話し(笑)、

山で見かける不思議な植物の話し、、、etcetc

 

これ以上長くなってもナンなので、ここでは割愛します☆が、

細かな些細な事でも、自分の住む地域の事を「聞いて知る」ということは、大切と改めて思ったこの二日間でした。

 

 

 

 

 

※写真は全て冒頭に書いた「千屋文化講演会」でのスナップです※